日比嘉高研究室

近況、研究の紹介、考えたこと

あなたは政治を放っておくことはできる。しかし政治はあなたを放っておかない。

覚えておいた方がいい。
「あなたは政治を放っておくことはできる。しかし政治はあなたを放っておかない。」

投票に、行きましょう。

投票に行かないことは、白紙委任です。
組織票を握る者たちへの、白紙委任です。
すでに権力を握る者たちへの、白紙委任です。
もう「持っている」者たちへの、白紙委任です。
あなたの代わりに投票へ行く者たちへの、白紙委任です。

あなたがひとりぼっちならば、投票に行きましょう。
あなたが不安ならば、投票に行きましょう。
あなたが不満ならば、投票に行きましょう。
あなたがわからないならば、なおさら投票に行きましょう。

この世に100%の候補者はいない。
しかし、よりましな候補者はいる。
調べよう。そして考えよう。

一票を投じることは、あなたがこの国で、「ここにいる」ということの宣言です。

紹介:人文社会学系学部縮小問題をめぐる学生集会@横浜国立大学

学生の雰囲気が、少しずつ変わってきているのかもしれないと感じます。

横浜国立大学の学生の方から、以下のような案内をいただきました。同大の学生が主体となって、人文社会学系学部縮小問題をめぐる学生集会が行われるそうです。7月11日(月)です。

名古屋大学の学生さんに転送を、というお願いでしたが、名古屋大の学生はもちろん、他大学の学生でも、関心がある方は歓迎されるだろうと思い、ここに転載します。(もちろん、お送り下さった方々の許諾済みです)

はじめまして、今回学生集会の主催を務めさせてもらいます三浦翔と申します。7月11日(月)「『文系学部解体』VS『文系学部廃止の衝撃』」と題しまして、室井尚横浜国立大学教授)と吉見俊哉東京大学教授)の両著者による討議が横浜国立大学で行われます。この講演会は、既にご承知かと思いますが文科省による人文社会系学部縮小の問題を受けて、このまま黙ってはいられないと遅まきながら開催されます。

http://y-labo.wix.com/home#!event/ch6q http://y-labo.wix.com/home#!event/ch6q

しかし、私は一連の学部改変で潰された人間文化課程の卒業生ですが、この問題を教授陣と文科省のプロレスに終わらせてしまってはならないと思っています。学生自身に関わる問題として捉え返さなければ、この国の大学は変わって行かないと切実に感じています(1月には「人文社会系学部縮小に抗議する」という喪服のデモを横浜で行いました)。

http://www.kanaloco.jp/article/146669 http://www.kanaloco.jp/article/146669

そこで今回の講演会に合わせて、廃止される国立大学の学生を中心としつつ、これからの大学作りを考えるために幅広い層の学生が集まる学生集会を開催したいと思っております。すでに、はるばる遠方の新潟大学から二名が講演会に参加頂くと連絡があり、どうせならばこのタイミングで学生同士の意見交換・交流が出来ないか、ということで今回の企画は動き出しています。

企画書を添付させて頂くので、ご確認の上、是非とも参加のご検討をお願いします。


三浦 翔
shoh3iura◎gmail.com (◎は@)

企画書については、このエントリの末尾に貼っております。

また、このメッセージには続きがあり、今後の展望として、「無知の教室」という連続企画を考えていらっしゃるとのことでした。7月24日(日)にSEALDsのドキュメンタリー『私の自由について』(2016)の自主上映会およびメンバーを招いてのディスカッション、そのほかに、シンポジウムやデモ、勉強会、読書会、アジアの学生との交流会なども考えているということでした。

どうぞ、ご注目を。また関心のある学生の皆さんは、一度覗いてみてはいかがでしょうか。

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大学の反グローバル化論と内向きな社会 ~内田樹さんへの批判を起点に~

東大、アジア7位

先日、東京大学がアジアの大学ランキングで1位から7位にランク・ダウンしたというニュースが流れました。

http://www.yomiuri.co.jp/national/20160621-OYT1T50113.html

私は、大学ランキングには弊害が大きく、それに一喜一憂する必要はないと思っていますが、それでもこのニュースには少々衝撃を受けました。

こうした凋落が現実となっていることに対する反応には、日本の大学もっとがんばれよ、という励ましや、もう日本はこうなってしまっているのが実態だ、という嘆きなどがみられたように思います。そんななか、このニュースを直接的に踏まえているわけではないようですが、内田樹さんが「大学のグローバル化が日本を滅ぼす」という文章を書いていらっしゃることに気づきました。引用します。

「日本語で最先端の高等教育が受けられる環境を100年かけて作り上げたあげくに、なぜ外国語で教育を受ける環境に戻さなければいけないのか。」

母語話者たちは新語・新概念を駆使して、独特の文化的創造を行うことができます。その知的な可塑性に駆動されて、知的探究が始まり、学問的なブレイクスルーが達成される。後天的に習得した外国語で知的なブレイクスルーを果すことは不可能とは言わないまでもきわめて困難です。」

「繰り返し言いますが、大学のグローバル化は国民の知的向上にとっては自殺行為です。日本の教育を守り抜くために、「グローバル化なんかしない、助成金なんか要らない」と建学の理念を掲げ、個性的な教育方法を手放さない、胆力のある大学人が出てくることを僕は願っています。」(誤字を直しています)


「大学のグローバル化が日本を滅ぼす」内田樹の研究室(2016年06月22日)

http://blog.tatsuru.com/2016/06/22_1103.php

内田さんは、母語で最先端の教育が受けられることのすばらしさを、強調しています。このことは、水村美苗さんも『日本語が亡びるとき』で書いていたと思います。たしかにそのとおりで、母語でさまざまな分野の先端的な学術成果に触れることができ、ディスカッションできるという環境は、すべての国で実現されているわけではありません。

では、母語で大学の教育研究は完結できるのでしょうか。内田さんはノーベル賞のことも引き合いに出していますが、たとえば化学賞でも物理学賞でも、関連する領域においてはそもそも日本語のみでは最先端に触れられない状況でしょう。内田さんが書いている、母語で教育をうけ、母語で思考することが「知的なブレイクスルー」のためにとても重要だという議論は、英語で論文を読み書きすることが当然になっている分野では、あまり該当しないでしょう。

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あじさいとふうせん

f:id:hibi2007:20160621013147j:plain:w200:rightあじさいはふうせんのゴムのにおい
と子どもがいう。
鼻を寄せ
青々とした匂いの輪郭をなぞると
つんと、たしかに
ゴム風船をくわえた時の
そのにおい。

あじさいとふうせん。
 すうと吸い、
 ふうと吐く。
水無月の小さな息を
あつめてひらく。

本当ですよ。みなさん、お試しあれ。

亀井秀雄さんの訃報

仰ぎ見る方(かた)だった。著書や論文には、たくさんのことを教えられたと思っている。その質の高さ、視野の広さ、射程、厳しさ、どれも超一級だった。
ほとんど直接の接点はなかったけれど、唯一、私が2002年にUCLAに在外研究に行ったとき、わずか数日?滞在が重なった。そこでタイミング良く、家財道具を譲り受けたことが懐かしい。亀井さんは日本に引き揚げる直前で、私は滞在を始めた直後だった。
そのとき、拙著(『自己表象の文学史』)をお渡ししたが、あとから何かの御論文の参考文献に、それを挙げてくださっていた。うれしかった。ささやかな、自慢である。
ご冥福をお祈り申し上げます。

www.asahi.com

リポジトリで読めます→講演「踏みとどまること、つなぐこと―人文社会科学の意義と可能性」

昨年、高知大学でさせていただいた講演が、リポジトリで全文読めるようになりました。

「踏みとどまること、つなぐこと―人文社会科学の意義と可能性」(日比嘉高
高知人文社会科学研究、3号、2016、pp.55-66
http://hdl.handle.net/10126/00007992

さまざまな「日本」の発音~音はもともと、国も文字も超えていた

聞いてみて下さい。すごく面白いです。

www.youtube.com

蘇州とか、杭州の発音は、もう「じゃぱん」としか聞こえない。
そして客家語や福州の方言は、「にっぽん」にとても近い。

私たちは言葉というものを、国を中心に考えてしまいがちです。中国の言葉、日本の言葉、イギリスの言葉、というように。
また文字(表記)を中心に考えてしまいがちです。英語ではJapanと書き、中国語・日本語では「日本」と書く、韓国語では「일본」、というように。

けれど、言葉はもともと「音」が先にあって当然です。とくに固有名詞の場合。ユーラシア大陸の東海上に浮かぶ「あの国」を指すとき、東アジアの人々は「じゃぱん」~「やっぱん」~「りーぺん」~「りっぷん」~「にっぽん」~「いるぼん」などという、音のグラデーションのなかで、「あの国」を呼び習わしていたのでしょう。近代以降、西洋の商人や宣教師が、その音の連なりの中に入り、「じゃぱん」~「じゃぽん」~「やぱん」というつながりをさらに押しひろげていきました。

この動画を見ている(聞いている)と、国や文字が消してしまっている〈音の帯〉が、東アジアの陸と海をつなげ、さらにその先まで伸び、もう一度現れるかのようです。